10店舗経験して独立した俺の「料理人の転職の仕方とその時のお店の選び方」
おはようございます!
どうもとしろろです。
今回は料理人の転職の仕方・その時の店選びについて、俺が体験したことも含めて書きたいと思います!
ちなみに俺は27歳で自分のレストランをオープンさせました。
それまでに働いた店は10店舗。
18歳の高校3年生から飲食の世界に飛び込んだので、ほぼ1年で1店舗経験したことになります。
その10店舗はどうやって見つけてどうやって入ったか。
これから料理人になりたい人や、今の職場を辞めて新しい環境で働きたいと考えている、転職活動中の人の参考になれば嬉しいです!
料理人の転職とお店選びに大切なこと
1.初めての飲食店 華屋与兵衛
地元埼玉を中心にチェーン展開している和食ファミリーレストラン。
高校3年生の夏に部活を引退し、バイトでもするか〜とフリー求人誌をみて応募したのがきっかけです。
このときはまだ子供だったので、面接にタンクトップと短パン・サンダルで臨むという暴挙に出るも、持ち前のセンスで無事採用。
そのときから料理には興味があったので、キッチン志望で入り、寿司場を任されました。
先輩たちはいい人でいろいろ教えてくれましたが、今振り返ってもあんな田舎のファミレスでこんな高レベルな教えを受けたことが不思議です。
料理人の基本である片付けながら仕事する、挨拶や返事はちゃんとする、ワンウェイツージョブなどが身につきました。
俺はそのまま料理の専門学校(1年制)に進学したので計1年半そこで寿司を握ったりチラシ寿司を作ったりしてました。
辞めた理由は就職のためです。
2.歩いて5分の定食屋 お母さんといっしょ
専門学校で料理を学ぶうちに、もっと飲食店で働きたい気持ちが芽生えてきました。
しかし面接がめんどくさい。
なんとかスルッと入れないものか?と考えていました。
「そーいやお母さん今どこで働いてる?」
そんな経緯で家から歩いて5分。
母親がパートしている定食屋にお世話になります。
この時点で専門学校の夏前ぐらい?
金曜だけ休みで週6日バイトに明け暮れました。(先ほどの寿司屋と定食屋を交互に)
そこでは魚を焼いたり天ぷらやフライを揚げたり玉子焼きをやいたりしてました。
寿司と定食屋を経験し、将来は割烹かな?と思うでしょ?
3.高級フランス料理店
専門学校を卒業後、新卒入社したのは超高級フランス料理店。
実は在学中はフレンチやイタリアンの授業が好きで、将来は洋食の店で働きたいと思ってました。
就活もフレンチを中心に探してましたがなかなかいいとこに恵まれず年が明けました。
んーそろそろ決めたいなぁと思ってはいるものの、どこで働きたいかイマイチピンとこない。
ビストロかレストランか、ホテルもな〜
でもどうせやるなら1番になりたいな!
よし、フランスに行こう!!
無茶をしない性格の俺はいきなりフランスへ働きにいくこともせず、考えに考え、ひとつの結論に辿り着きました。
フランスのレストランの日本店で働けば、いずれフランスに異動できるかもしれない。。。
そこで選んだのが超高級有名フランスレストランでした。
専門学生のいいところは先生の人脈を利用できるところ。
フレンチの先生に聞いてみると話を通しておいてくれることに!ラッキー!
要領のいい俺は危なげなく採用を勝ち取り
晴れて4月から超高級有名ラグジュアリーレストランに就職したのでした。
しかし配属されたのはセントラルキッチンや系列店など。
都心の本店にはたまにしか行けず。。
1年のアピールも結局日本からフランスへの異動はないと明言され、肩を落としながら仕事を辞めたのでした。もういる意味ないしね‥
少し休んだあと転職活動開始です。
4.下北沢の路面店へ
フレンチレストランを辞めて1ヶ月ほどプラプラしてた俺はフラッと下北沢を歩いていました。
そこで目に付いたのが求人募集の看板。
雰囲気もいいし、ちょっとバイトでもしてみるか。と軽い気持ちでお店に入り
「すいませんバイト募集の看板見たんですけどまだ大丈夫ですか?」
「大丈夫です!面接するんでこちらへどうぞ!」
「はいっ!?」
そのまま面接が始まり採用が決まり、次の日から働き始めました。
なにこのスピード感。。。履歴書は後日持って行った
そこはハワイアンダイニングでした。
キッチンスタッフとして入りましたが、たまにホールやドリンクをやったりなかなか面白かったのですが、なにより楽しかったのは同年代の仲間が多かったこと。
それと店長と夜な夜な飲み歩いたことでした。
今までとは違う人間関係を築き、お酒を知り、遊び方を知ったお店でした。
そのお店は梅雨の時期に入り、翌年3月には辞めました。
辞めた理由もちょっと世界一周してくるでしたので、あのときの頭は少々アレだったのかと思います。
5.地元ショッピングモールのイタリアンへ
世界一周から帰ってきてからまた仕事探しが始まります。
このときはすでに自分のお店を持ちたいという気持ちが強かったので、とりあえずどこかでバイトしながらお金をためてまた東京に行くかという感じでした。
相変わらず自分で仕事を探すのは面倒だったので今回は友達の友達が働いているというショッピングモール内のレストランを紹介してもらいました。
持ち前の明るさで面接をサクっと通過しパスタ屋さんのチェーン店でパスタを作ることになります。
ここでは今まで体験したことのない忙しさと出会いました。
ショッピングモール内のレストランは平日は暇です。
ポツポツとお客さんが来るくらいであとは週末に向けた仕込みがほとんど。
ですが土日になると、オープンと同時に満席となり、12個あったパスタゆで麺機が常にマンパンでピーピーうるさい状態でした。(茹で上がるとピーっと鳴りながらパスタが上がって来る)
ゴールデンウィークや正月はオープンからクローズまで行列が絶えず、息ができないとはまさにこのことかもしれないと思いながらフライパンをふっていました。
そこでは1年2ヶ月ほど過ごし(遊びすぎてお金がなかなかたまらなかった・・・)
満を持して東京に引っ越すのでした。
もちろん次の仕事は決まってません!
6.ワインバーで初のホール
都内のオフィス街に引っ越し、下北沢の時と同様歩きながら仕事を探していました。
そこで目についたのはおしゃれな外観のワインバーです。
しかも運のいいことにアルバイト募集の張り紙が入り口に貼ってあるではないですか!!
早速中に入り面接希望の旨を伝えると、週末に履歴書持参で面接をしますとのこと。
いきなり面接してくれるのは珍しいことなんだなと思いました。
持ち前の洞察力の高さで見事面接を通過し、オフィス街のワインバーでホールマンとして働くことになりました。
ランチ・ディナーともにホールでしたが、ランチタイムは鬼のように忙しく12時に一気に満席、13時前に一気にお会計というオフィス街ならではの仕様に時折精神をやられながら働いていました。
しかもディナータイムは結構本格的なワインバーで、ワインの知識が全くない俺は店長に言葉の暴力でボコボコにされながら働いていました。
鋼の精神をもつ俺はさっそく本屋でワインの本を買い勉強に明け暮れます。
同時にカクテルや日本酒などお酒全般の知識も深めていきました。
ここでは半年ほどと短い期間でしたがスパルタ店長のおかげでお酒の知識や、バー周りのオペレーションなど主にドリンク関係の仕事を学ぶことができました。
もう二度と働きたくないけどここでの経験がなければ自分でお店を持ててなかったかもしれません。
感謝です。
もう二度と会いたくないけど。
7.スペインバルでスーシェフに
毎日泣きながら働く生活に嫌気がさしたので仕事をやめることにしました。
今回はやめる前に新しい職場を決めようと、ネットで情報収集することにしました。
使ったサイトはグルメキャリー。
そこでお店を探しました。
近所だと同僚に会いそうだったので電車で一本でいける街で、経験したことのない業態。で探すと出てきたのがスペインバル。
この時はスペインバルもまだ認知度は高くなく、先を見据える俺にピッタリだなと即決し電話しました。
すぐさま面接が決まり、持ち前の判断力の高さで無事採用が決まりました。
しかもスーシェフ笑
ちょうど人が辞めるタイミングも重なって運がよかったです。
このお店は個人店だったのでそんなに大きい箱ではなかったですが
入れ替わりが激しい店だったのでたくさんのスタッフを育成し巣立っていく背中を見ていきました。
そしてここでお酒好きの才能が100%開花。
15時〜夜中の2時まで働き、始発待ちで毎晩オーナーと飲み明かすという破天荒ぶり。
特にワインは1日1本どころじゃ済まない日が続き、帰りの電車で途中下車してトイレで吐いて帰るパターンが日常になっていました。
そんな楽園のような日々を1年ほど過ごし、急に飽きた俺は今度はシェフになりたいと思い、また転職活動に励むのでした。
8.恵比寿のおしゃれカフェのシェフに
以前デートで使ったことがあるカフェを雑誌でたまたま見かけ、ここで働きたいな〜と思った瞬間電話をかけました。
「すいません、アルバイトって募集してませんか?」
「あ、ちょうど明日から募集しようと思ってて」
持ち前の〜以下省略〜
無事採用が決まりました。
1ヶ月のバイトでの研修を終え正社員に。
そしてさらに1ヶ月後、上の移動もありシェフに昇格。
並み居る年上の先輩をぶち抜き若干25歳でシェフの座につきました。
でもここも苦労しましたね。。。
年上の部下がいうことを聞いてくれない
メニューの更新が間に合わない
この2つが徐々に俺のメンタルを蝕み、ストレスを増大させていきます。
結果を出すしかない・・・
この言葉を胸に毎日必死に働きました。
誰も見てないところでも手を抜かない、誰よりも勉強する、メンタルでは負けない
そんな俺を徐々に評価してくれる人が現れ
1年がたつ頃には部下も増え、年上の部下ともうまくやれるようになってました。
ここで乗り越えたものは大きく、自分に自信を与えてくれました。
やっぱり東京の恵比寿。
得たものは非常に大きかったです。
9.地元に帰り洋風居酒屋へ
26歳になり、そろそろお店を持ちたいな〜という気持ちが強くなり始めたので
とりあえず地元に帰って物件でも探しながらどこかでバイトするか、と考えました。
そこで選んだのは隣町でそこそこ流行ってる洋風居酒屋グループの新規オープン案件。
タウンワーク?で見かけた求人情報に電話。
恵比寿でシェフをしていた人間がいきなり田舎の店にバイトしにきたもんだから歓迎モード全開。初出勤の日には系列店から何人も俺のことを見にくる人がいました笑
そこには半年いましたが結果として得るものはほぼなし。
1人をのぞいてレベルの低い環境で、早く抜け出さないと俺もこいつらと同じレベルまで落ちる・・・そんな危機感からすぐやめました。
働く環境ってのは大事で、お互いを高め合える人がいないと絶対ダメだと改めて感じさせてくれました。
10.最後の店 正統派イタリアンレストラン
自分でお店をオープンさせる直前の店は、こちらも隣町の個人店。
オーナーシェフとホールの2人体制でやってるこじんまりとしたレストランです。
しかしここが非常にいいお店でした!
まずオーナーは六本木や銀座でシェフ経験ありなので料理は申し分なし、むしろ俺より全然上で、毎日勉強させてもらってました。
さらにホールとして入ったので、この地域のお客さんの特性を理解することができた。
そしてさらに、このオーナーが経営面がさっぱりだったので色々なことをやらせてもらいました。
メニューを作ったり
ファサードをいじったり
ホームページを作ったり
結構経営面にも参加させてくれて、自分の店の前のいい練習をさせてもらいました。
今まで経営は本でしか勉強してこなかったですが、ここにきて実践させてもらえたのが大きかったです。
そうこうしてるうちに地元でいい感じの物件が見つかったので、一大決心をしてその店を辞め、自分のレストランの開店準備に入ります。
これが俺が経験してきた飲食店です。
レストランからレストランへなので転職というほど大げさではないので
あまり参考にならないかもしれません。
簡単にまとめると
・ネットで検索して電話する
・募集してないけど電話してみる
・募集の看板が出てたら乗り込む
が自分が働きたいレストランで働くコツです。
店を閉めた後は転職エージェントを使いましたが、それまでの若いうちはそんなことは気にせず気になった店に乗り込んで行くぐらいでちょうどいいです。
熱意とやる気があれば雇ってくれます!
自分のお店を持ちたいならとにかく行動することが大切です。
新しいことを学び、学び終わったら次へ
そうやってどんどん吸収してレベルをあげれば早い段階で自分の店を持つことも可能だと思います。
とにかく行動。
一緒に頑張りましょう(^^)